自分の特性を多角面から見極めることを大事にしてほしい【専修大学・経済学部・小川健教授】
専修大学/経済学部の教授として勤務をされている「小川健教授」に、現在の業務やこれまでのキャリア形成の過程に関して、インタビューさせていただきました。
様々な学問の分野に興味を持ち、自身のキャリア形成に不必要かを判断する際にも、まずは自身で学んでから行ってこられた小川教授の理念をお聞きしていきます。
そして、現在は「社会に出る前の学生を育てること」を重要視し、教育に専念されている教授の心境についてもこれまでのキャリアも踏まえてお応えいただきます。

・名古屋大学/経済学研究科/社会経済システム専攻課程修了(2011/3)
・広島修道大学/経済科学部(現代経済学科)/助教 (2012/4〜2015/3)
・専修大学/経済学部/国際経済学科/講師 (2015/4〜2017/3)
・専修大学/経済学部/国際経済学科/准教授 (2017/4〜2023/3)
・専修大学/経済学部/国際経済学科/教授 (2023/4〜)
【受賞歴】
・2009年度(第2回)日本地域学会 学会賞 最優秀発表賞(2010/10)
・2015年度 日本地域学会 学会賞 奨励賞(2015/10)
目次
現在の所属大学や大学での業務内容・役職・役割を簡単に教えてください
私立大学は、社会に出る前の最後に通るキャリアパスになる可能性の高い所です。
中堅私大ではボリュームゾーンでありながら、国公立大学には縁の無かった皆様に社会に出る前に学んでもらう場所を提供することを主な目的としています。
しかし、その中でも私が所属する専修大学は文系を中心とした中堅私大でありながら,日本で初めて日本語で経済学を教えた歴史を持ち,決して(経済学を含めた)社会科学系を軽視させない立ち位置を持った形での高等教育を担っています。
私は経済学部にて専門科目を主に担う専任教員(教授)ですが、ゼミの他に以下を受け持っています。
- 近代経済学という正確に分析し無駄のないことを大事にする価値観を持った国際経済(貿易・国際金融)に関する科目(国際経済論・貿易論など)
- エネルギー資源とそれ以外の資源(水産資源など)について取り上げる科目(資源・エネルギー論)
- 数学(微分など)や統計などの上記の学問の補充を担う科目(国際経済とデータ分析) など
現在、夜間クラス(二部)の募集停止に伴い、担当科目の一部変更などの最中となります。その関係で、その他の科目についてはこの後で改めて決まっていきます。(例えば、過去には「食と水の未来」という科目を受け持ったこともあります。)
これまでの経歴を教えてください
愛知県名古屋市生まれ、愛知県名古屋市育ちで、愛知県立千種高等学校(普通科)卒業後、河合塾千種校で大学受験の1浪の後に名古屋大学・理学部に進みました。
学部生時代は理学部の旧・数学系(数理学科)に所属していましたが、自分の興味のある科目は学部にとらわれずどんどん受けに行く姿勢を取り(あまりアルバイトもサークル活動も、社会貢献などもできなかったのですが)、学部4年間で卒業単位の約2.5倍の単位を計7つの学部から取得しました。
その色々とみてきた経験から、2006(平成18)年3月の学部卒業後は大学院にて経済系(近代経済学の手法を用いた国際貿易論の理論研究のゼミ)に転向しました。
このような経緯から、数学と社会/公民の両方の教員免許を持っています(※中学数学・高校数学は1種、中学社会・高校公民は専修教員免許、教員免許に「現役の中高教員しか更新できない」更新が必要だった時期を挟んだため、有効にするには更新が必要になります)。
「リカード・モデル」という貿易系の基本モデルがあるのですが、そのモデルにおける未解決問題への取り組みを基に、2011(平成23)年3月に課程博士(経済学・名古屋大学)を取得しました。
1年間OB会(同窓会)の支援を受けた研究員という名の就職浪人を経て、水産物貿易の貿易理論からの理論研究などと「数学・経済の両方を理解している経歴」を基に、2012(平成24)年4月に広島修道大学・経済科学部・現代経済学科に経済数学の任期付き助教(大学教員の最下層の職位、昔の助手)に採り立てていただきました。
その後、2015(平成27)年4月に現在の職場である専修大学・経済学部・国際経済学科に国際経済論の専任講師として採用していただき、職位や一部の担当科目は変わったものの現在に至ります。
専修大学・経済学部では、学科によって国際経済論の位置付けが大きく変わります。例えば、国際経済学科では国際経済論は必修科目なのですが、私はそうではなく(経済学部内の)「お隣の学科に」選択科目としての国際経済論を教えに行く「兼担」という立ち位置を主担当科目としています。
なお、経済系の学部は研究室体制をがっつり組んでいる学部と大きく異なり、規定年数だけしっかり働き、最低限のノルマの業績本数を満たせば昇格審査にはかかるため、他の分野に比べると教授昇格は早いかと思いますが、決してとりわけ優れていたという訳ではありません。
例えば専修大学の経済学部の場合、専任講師として就職してから8年後に教授まで昇格した例も珍しくないため、30代前半で専任講師になった場合には40歳前後で教授になることも充分有り得ます。ちなみに70名前後いる学部の専任教員全体の中で教授は55名くらいいます。
経済系では、昔の助手に相当する大学教員のスタートに相当する立ち位置である助教(注:決して助教授ではありません。助教授という立ち位置の方は日本では2007年頃に准教授に変わって以降、登場していません)が更新回数も制限された期間限定である場合が多いです。
そのため、経済系では若手・ポスドク向けという位置付けで採用年齢上限が設定されることもある助教で長く留まるということもあまりありません。
キャリアを作る中で意識していたことを教えてください
学部時代は、出来るだけ「幅広く」興味のあることは学んでいこうとしてきたかと思います。
数学系の学部・学科は特に、学部生時代は(科目数が理学部の他の学科と比べると少ない上で)それぞれの科目について自分でじっくり本を読んで解いて深めていく、ということが求められます。そのため、その熟成のために時間に余裕のある配置になっている状況にありました。
私はその時間を、総合大学の強みと「履修単位上限のない」仕組みを徹底的に活用したいと考え、「他学部や他学科も含めて興味の持った項目を1度講義受けてみよう」ということを大切にし、分からないと感じた所はとにかく聞き、そのうえで先に進む、ということをしてきたつもりです。
そのためかなりの期間、月1限から金4限まで週20コマ以上普通に全て受講する科目で埋まり、卒業単位にはならない「随意科目」が累積100単位以上という状況でも構わず受け、1度学んでみてから判断する、という立ち位置を大事にしてきました。
また、学生時代は学業以外の部分では「議論」をできるだけ大事にしてきたかと思います。さすがに、24時間政治活動に充てる人たちとの議論は避けましたが、友人との議論で1時間以上なんてのもざらでした。
他には、「大学生協の総代」などがあります。高校生の頃は、討論部で日本語の教室ディベートを学び、生徒の自由で自主的な活動をできるだけ尊重できる特殊な生徒会体制になっている仕組みを逆手にとって、役員ではなく議会議員や規則検討委員会委員として常に発言をしてきた高校生活をしてきました。
その経験を基に、大学生協では総代をしていました。本来「大学生協の総代」とは(大学生協の学生委員会などとは違い)5月末に年1回夕方集まって、1〜2時間話を聞いて手を挙げる(議題を承認する)だけの役目、というのが一般的です(2月末締めの大学生協はそれから3か月以内に次の方針などを承認しないと活動継続できないので、こういう形になっています)。
しかし、こうした場で常に総合討論では「議案の疑問に思う部分や大学生活に取り組んでほしい要望などの」発言をし、(否決されましたが)数十年ぶりに修正動議を総代会の議案に対して提出したこともありました。
このような、「納得して進む」ために「外からしっかり監視し必要なら問いただす」という姿勢は、自分のキャリアを作るうえで大事だったかと思います。
適当に聞けばその分だけ物事は適当に流れ、多少納得していないことも「承認した」ことにされてしまう部分はあります。もちろん大人になれば、それが仕方ない部分もあることは言えるでしょうし、本当に承認されずに活動停止になるような事態は避けますが、通る見込みが立っているなら「全会一致ではない、異論は出ている」ということはしっかり伝え、「私は納得していない」ということを示したうえで説明を求めて先に進む、ということは大事にしてきたかと思います。
ちなみに、現在所属の専修大学には大学生協は有りませんが、私は「大学生協の無い大学の為の大学生協」という立ち位置を持っている東京インターカレッジコープに所属し、一時期は外れたものの現在も総代を務めています。
そして、就職活動などを意識していた期間は出来るだけ「色々なことが出来る」立ち位置を目指そう、と考えていました。ビジネス数学検定やeco検定などをはじめとする各種検定の取得もそうですし、八王子の大学セミナーハウスでの新任教員研修セミナーを任意的に(修道での新任時代と専修での新任時代という)2度受けたのも、恐らく私くらいではないかと思います。
後に、情報の科目が入試科目になるという話を聞いてからは、情報入試研究会という大学入試に本格的に情報の科目の入試を入れるための研究を行っているところが主催している「模試」を個人受験で(当時広島在住ながら)1人大阪まで受けに来た、ということもありました。
これは、情報の科目の入試の作成が必要になった際にそういうことも担えるというPRのためでもありました。結局その「情報の科目の入試」に関する部分が評価されることは有りませんでした。
しかし、何がきっかけで先に進むかは分かりませんし、「そんなの評価しないよ」という助言などは「その人が審査員なら」評価しない、というだけであって、全ての人がそうである、という訳ではありません。
実際に私は当時の就職活動中に「中高の教員免許なんて関係ない」と割と周囲からは言われてきました。しかし、前任校の経済数学で採用される際には中高の数学・社会/公民の両方の教員免許を持ち、数検1級のほかに当時始まってまだあまり浸透していなかったERE(経済学検定試験)ミクロ・マクロを受けている所から、単に経済を知らない数学系が腰掛に来たわけではない、ということが伝わって、書類審査では業績の弱さを逆転したという話を聞いたことがありました(経済数学は経済系プロパーでも数学系プロパーでも、なかなか適しにくい科目ではあります)。
現在、科目再編成の中で将来的にはEREに関しての対策の科目を、なんて話が出たことがありましたが、それはこうした経験が活きてきたことだと言えます。
なお、今の職場に来てからとりわけ大事にしたことの1つに、うまく業績が出せていない時期でもちゃんと学会報告などの活動は続ける、という部分があります。
私の本来の専門は貿易論の理論研究ですが、50年以上の未解決問題も含まれるため、すぐに研究業績としての査読論文が次々と出せない場合も少なくありません。そういう行き詰まっている場合でも、「今できることをやる」という姿勢は大事にしています。
教育系での学会の報告には教育理論のほか、実際の取り組みを基に報告する実践報告などもあるのですが、教育における各種工夫なども含めて報告することにより、何もしていないままの時期という状況をできるだけ避ける、ということは有りました(コロナ禍は特にそうでした)。
「今できることをやる」という立ち位置を大事にして、情報系の教育活用(例えばアンケートフォームのオンラインテストへの活用や対面・遠隔中継併用の講義など)など大学教員になったころには全くできなかったことも、今ではキャリア数年の活用者としてできるようになっていったということがありました。
全てのことに「オールマイティ」という人はそうそういません。例えば私は理論系なので、データの活用という観点では私より優れた能力をお持ちの方は本学にも大勢います。私は「中東の経済」の先生の後任だった関係で、本来は中東の経済とかを担えた方が良いかとは思いますが、私にはできません。
しかし、自分が本来できると考えている範囲にこだわらず、「他に任せた方が良い部分」はお願いするにしても、出来る範囲を少しずつ広げていき、専門家としてではなくても活用できる部分が広がっていくことで本当に困ったときに力になれる可能性が出てきます。コロナ禍での情報系への機器の活用などで私はそういう経験をしてきました。
これからの展望を教えてください
専修大学は大学教員を育てる大学ではなく、大学院に進む学部生も殆どいません。
そのため、まずは(ゼミ生を含めて)社会に出る前の学生を育てることを大事にしていきたいと思っています。
もちろん研究も続けていきたいとは思いますが、私自身は一流の研究者とは思っていません。研究を優先していくのは、あくまで一流の研究者と「一流になり得る」研究者であるべきと思っています。
そういう方は、大学教員やその周囲にはたくさんいます。そして、その多くはより大学院を重視している大学にいるはずです。私はそれよりは(実際にできているかは別にして)、教育を重視できる教員としてありたいと思っています。
また、それぞれの人に向き・不向きはあります。例えば大学教員には、交代交代で研究などに集中するために講義を一定期間だけ外す「サバティカル」という仕組みがあります。しかし、私は自分自身では研究を優先するサバティカルでの外国留学を選択したいとは思いません(それだけの有益な成果を上げられるとは思いませんので)。
サバティカルに関しては、それが自身の研究で有益な成果を上げる人こそがやるべきです。私がサバティカルを利用するとしたら、それは体調を壊して手術などにより2か月を超える入院が必要になる場合くらいかと思います(2か月以内なら2〜3月の講義がないときを活用すれば良いので)。
サバティカルは大学教員に認められた「講義の義務・ノルマを外す権利」であり(実際にはその部分を「誰かが」担うわけですが)、それ以外のときというのはある意味過剰な迷惑を同僚にかけることになります。
私は「楽単ではないが卒業を考えるとこの科目で単位は揃えておきたい」という科目を(特にメイン講義では)担えるようにしたいと考えています。それぞれの大学・学部・学科などにはその科目の趣旨・構成のバランスの他に、以下のような様々な科目から構成されています。
- 「ここを適当にすると学科の趣旨が崩壊する」科目
- 「この科目は教育とは違う目的を持つ(修得が容易な単位として計算が普通にできる)」科目
- 「この科目は単位が出るまでに非常に難解な」科目
そうした科目の単位習得のし易さを見落とすと(必要な単位数を修得できず)卒業できなくなる場合もあるのですが、楽な科目だけで卒業が出来てしまえばその大学教育にはあまり意味はありません。そうすると、どこかの科目はしっかりやっておかないと、というのがその後の科目の理解に必要かどうかや就職後に役立つか以外にもあるのですが、私はそういうときに「この科目は楽ではないが単位を押さえておかないと」と言えるようなあり方が望ましいと思っています。
そもそも、私は「1度のミス」で単位を落とすような形は取りたくないと考えています。理解不十分による単位不認定は「途中で諦めて放棄した場合」と「何度やっても最後まで理解しようとしなかった場合」に限るべきと考えています。
大学の単位なので「最後まで理解できていない」場合には原則は落とさざるを得ないのですが、「理解できていなくて落とす」場合も「理解できていないが通す」場合も本来はその科目の存在意義を考えれば決して良い訳ではなく、「理解させて通す」ことにこそ意義があります。
そういうことが出来るあり方を、私は取りたいと思っていますし、だからこそ私は「成績不良による再試」が認められない「定期試験」は単位の認定・不認定の要件にはできるだけ使わないようにという信念を持っています。大学によっては成績不良による再試を定期試験で認める事例もありますが、本学を含め多くの大学ではそうではありません。
であるなら、私は定期試験では「単位の認定・不認定以外の部分」で、単位というプレッシャーから解放された状況下かつ、本来は(制限時間があり参照が制限されている中では)どれくらい答えられるかを正直に答えてもらいたいです。
そして、単位認定にかかわる部分は「やり直しができる方法」を使い、「理解できるまでやらせる」ことを大事にしたい、と思っています。
そういう科目を担っていき、大事な所をしっかり理解してもらうことのできる教員になりたい、というのが私の「展望」というと違和感あるかもしれませんが、私はそう思っています。
あと、欲を言えば、「理論系の復権」を目指したいと思っています。現在の国際貿易を含めた近代経済学の在り方の多くは(ゲーム理論系など一部を除けば)物凄く「データ・実証重視」の側面が色濃く出ています。
データを統計的に検証した研究でなければ、一流とは認めないかのような風潮も分野によっては存在します。もちろんデータを利用して統計的に駆使した実証研究は物凄く大事です。その方が一般向けの説得力も出るでしょうから。
しかし、それで理論モデルによる研究を軽視する風潮は決して良くないと考えています。あくまで「理論」と「実証」は車の両輪であり、実証だけでよい訳ではありません。実証研究にはそのためのデータが必要なのですが、理論研究の中には(複合的な要素が必要など)データがそもそも取り得ないことにも知見を説明できる側面もあります。
そのことを考えても、理論系の研究の選択肢はちゃんとそれはそれで「経済学で扱うどの分野にも」残しておくべきです。それで初めて、近代経済学とは違う経済学と本当の意味で現実の説明力をめぐって高め合うことが出来るようになると私は思っています。
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「自分の特性を色々見極めることを大事にしてほしい」と思います。
1つの評価軸だけを大事にする人は必ずあなたの目の前に現れてきますが、1つの分野のみに強い人が競争で勝てるには文字通りNo.1でないといけません。
しかし、そこまでのことを大学や国などを超えて行うことが出来るわけではないのであれば、あれとこれの両方が出来る、というあり方こそが現実的に望まれるあり方です。
本当に1つのことに秀でているとは、その才を活かすために他の項目を「他の人が助ける価値がある」場合に限られます。しかし、2つ以上の項目を伸ばすと、1つの事では適わない相手にも「他のことで」勝てる可能性や、そうした総合力を考えて逆転できる可能性が残る訳です。
経済系の方には例として「ATMの裏側で動くプログラム」は一流のプログラマーでも「プログラムを書くだけしかできない」人には適切には書けない、と説明します。
経済学を学ぶと出てくる概念の1つに金利の「複利」という概念があります。これは利息にも利息が付くという概念で、銀行や消費者金融などで動くATMの裏側で金額計算をする際に、その金利の扱いをしっかり入れないと、例えば銀行の預金や借金を(利息には利息が付かない)単利のみで計算してしまうプログラムを書いてしまうことになりかねません。消費者金融のATMでそんなプログラムを組んでしまったら、不良品で突っ返されます。
しかしこの部分は経済学で金利に関して学んでいないと難しいでしょう。英語だけ、プログラミングだけ、などではなく、あれとこれなどの形で2つ以上学んだから活かせることがある、ということをキャリア形成では考えてほしいと思います。
次に、「手法」はやがて陳腐します(四則演算や微積分などの基本的な計算方法などは別ですが)。しかし、その根底に流れる「考え方」を理解して模索していけば「次の時代」の手法にも活かすことが出来ます。
私の例で説明しますと、例えば昔は前の回で入れなかった部分の講義資料については紙媒体のみで配付していたのですが、そうすると「その回に休んだ学生」や「前の回の講義資料を忘れた人」が次の回でその講義資料を求めてくる可能性なども考えて、その分の講義資料も合わせて持参しないと理解度にあまりに大きな差が出てしまいます。
これがLMS(Learning Management System)に講義資料を入れるようになったことで、いま手元にない人はそちらから確認するように、とできるようになりました。
そうすると前の講義回の積み残しを取り上げる場合に、(前の回の資料を忘れた、前の回には参加していなかったなどの場合に)手元に資料が無くてもそこは手元で確認したいならLMS内の資料を見るように、と出来るようになりました。
昔は個人のオンラインストレージに入れてなども試したのですが、普段使わない所に入れてもあまり話を聞いていない学生もいることから「オンラインに置いてある資料がある」という事さえ気付かないというケースもあります。例えば補講で扱った内容を録画や録音して入れておいても、「補講に参加できなかったからその内容をテストに出すのは止めてほしい」という声もありました。
毎回スライド冒頭ページに表示しておいたURLから繋がる「全ての回で共通にした」オンラインストレージに入れておき、その部分から確認できるのですが、独自のものを使った場合にはテスト前などに確認しようとしても気付かなければ、彼らには「無いも同然」となってしまいます。
そうすると「補講では参加できなく内容が確認できない場合もあるので、補講で扱った項目は定期試験に課してはならない」という原則論を盾にクレームが来た場合には対処せざるを得なくなりえます。
また、紙を敢えて取らずに画面で確認したい人への選択肢にもできます。昔は授業内テストに対する練習問題や問題傾向などは紙媒体のみで配付していましたが、例えばGoogle Formsなどのアンケートフォームを活用することで解いた部分をその場で自動採点し、正解かどうかなどに応じた解説を自動的に表示できる形になりました。
そうするとドリルのような項目に紙媒体を敢えて使う理由とは、全体像や前後の問題を確認したい場合、解答例・解説などで(数学などの)答案の書き方を見せたい場合など限られ、どういう理由でこの方法を使うかという部分を考えるようになります。
昔は授業内テストに対する問題傾向解説は(補講などの時間に)直接解説していたのですが、問題傾向解説こそ後から繰り返し見たい場合や、自分の都合のよいときに見たい場合もあります。
そうすると、直接その場で解説するよりYouTubeなどの動画にしていつでも確認できるようにした方が親切な可能性が出てくるわけです。そうした工夫にも「時代によって」反応は異なります。例えばコロナ前でこういう(YouTubeの動画にして提供する)ことをやると「先生は私たちに直接説明してくれない」「パケットの問題があるから講義時間中に映像は流してほしい」など非常に否定的な反応が実は多かったです。
しかし、コロナ後は、テストの前夜でも確認し直せる、速度や音量を調整して視聴できる、1回では分からなかった所を繰り返し視聴できるなど、YouTubeに上がっているメリットの方が大きいという反応も割と一般的になりました。とはいえそれが全てではなく、例えば「反転授業」のように講義内容を説明する部分は映像にして上げておき当日はその説明をしない、という形は実際に有益という学会報告なども存在しています。
しかし、今の本学で私が取ると、視聴しようとせずに問題だけ解こうとして分からなく、で点数も低くなるが、それは講義時間中に先生が説明してくれないからという「先生のせい」にして講義に来なくなる、という様子も実際に(一部ではありますが)見られます。それぞれの時代によっても受講生の反応とは変わってきます(かといって全体説明だけ行っても聞いていない人も多いのですが)。
時代が進めば、ほぼ全ての科目でVRやAR・MRを使って大学の講義するのが当たり前の時代も来るのかもしれませんし、「ゆっくり解説」のような映像を作るのが大学の講義で当たり前になる時代が来るかもしれません。
AIの活用度合いが、大学入試で求められる時代が来るかもしれません。しかし根底の部分を大事にしたうえで模索するなら、時代に合わせて対応していけるようにもなっていくでしょう。