メニューを開く

人生は思うようにいかないから面白い!人生のシーン、シーンでベストを尽くせばきっといつかは努力は実る!【福知山公立大学 地域経営学部医療福祉経営学科 川島典子教授】

川島典子教授は大学在学中、病院でソーシャルワークの実習を行ったことがきっかけで、ソーシャルワーカーになることを希望するものの、卒業後には新聞記者になられたそうです。

男女雇用機会均等法施行元年の採用で女性差別にあった体験からジェンダーに関する研究を始められました。新聞社を退職後、結婚・子育てを経て、大学院に入学されています。

子育てしながら社会福祉学修士を取得後、大学に着任し、現在は大学教授として介護予防や子育て支援、ジェンダーなどの社会福祉に関する研究を行い、多方面で活躍されています。

さまざまな職業を経てキャリアを形成されてきた川島典子教授のこれまでの経歴や、経験から得られたキャリアを作っていく上で大切に感じることを話していただきました。

今回インタビューさせていただいたのは?
川島 典子 教授
福知山公立大学 地域経営学部医療福祉経営学科 教授
・大学卒業後に、新聞記者として、新聞社に勤務
・その後結婚、出産を経て大学院へ入学
・修士号取得後、大学教員になり、ソーシャル・キャピタルと介護予防の研究を開始
・編著『アジアのなかのジェンダー』・単編著『人口減少社会の地域経営政策』などを出版
・介護離職後、政策科学博士を取得
・現在は、福知山公立大学大学院地域情報学研究科教授や同志社大学インクルーシブ防災研究センター研究員も兼任。近年はAIや福祉防災の研究も行う

現在の所属会社の事業内容や役職・役割を簡単に教えてください

福知山公立大学地域経営学部医療福祉経営学科にて、教授をしています。

これまでの経歴を教えてください

経歴まとめ

  • 島根県松江市生まれ
  • 1982年 同志社大学文学部社会学科社会福祉学専攻入学
  • 1986年 同志社大学卒業後、産経新聞大阪本社社会部記者
  • 1987年 大阪地方裁判所(高等裁判所を併設)司法記者クラブ配属
  • 退職後、松江にUターンし結婚、2人の男児を出産、子育て
  • 2001年 同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻博士前期課程入学
  • 2003年3月 社会福祉学修士取得
  • 2003年4月 同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻博士後期課程入学
  • 2007年 同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻博士後期課程単位取得満期退学
  • 2010年頃 ソーシャル・キャピタル(地域のつながり)と介護予防の研究を始める
  • 2011年 ソーシャル・キャピタルを国策に取り入れていたフィンランドに調査へ。子育て支援の研究を始める
  • 2012年 ノルウェーにも行き、女性支援策の研究も始める
  • 2012年 初編著『アジアのなかのジェンダー』ミネルヴァ書房、出版
  • 2013年 日本保健福祉学会優秀演題賞受賞
  • 2013年 共編著『地域福祉の理論と方法』学文社、上梓
  • 2014年 父が脳梗塞で倒れ、ずっと遠距離介護していたが、とうとう介護離職
  • 2018年10月 同志社大学ソーシャル・ウェルネス研究センター研究員
  • 2018年11月 日本ペンクラブ会員
  • 2019年 新見公立大学健康科学部地域福祉学科准教授
  • 2019年 編著『地域福祉政策論』学文社、出版
  • 2020年4月 福知山公立大学地域経営学部医療福祉経営学科教授
  • 2020年9月 単著『ソーシャル・キャピタルに着目した包括的支援―結合型SCの「町内会自治会」と橋渡し型SCの「NPO」による介護予防と子育て支援-』晃洋書房、出版
  • 2020年9月 国の学術振興会より約1400万の助成を受け、同じ大学の情報学部の教授たちとAIによる福祉専門職業務の代行の研究を始める
  • 2022年 単編著『人口減少社会の地域経営政策』晃洋書房、出版
  • 2023年4月 国の学術振興会の科研費(B)の助成約1800万円取得
  • 2023年9月 日本ジェンダー学会監事
  • 2023年11月 NPO法人日本デンマーク生活研究所理事
  • 2024年4月 同志社大学インクルーシブ防災研究センター研究員(兼任)
  • 2024年4月 福知山公立大学大学院地域情報学研究科教授(兼任)
  • 2025年9月 単編箸『人口減少社会のジェンダー政策』晃洋書房、出版予定

(※ここまでの詳細は研究者リサーチマップをご覧下さい)

経歴詳細(補足)

1982年~1986年 同志社大学文学部社会学科社会福祉学専攻在学中

高校時代は、音大か美大に進学したかったのですが、父に反対され断念。文学部なら許すと言われたもののAA判定の大学に全て落ち、偶々1校だけ受けた社会福祉学科へ入学しました。それゆえ、最初は全然,、福祉に興味を持てなくて、欠席遅刻の多い劣等生でした。

しかし、2年生の時に講義で少年院の見学に行き、目から鱗が落ちたんです。そこで、更生や人を援助する仕事のすばらしさに目覚めました。

さらに、3年生の時に病院の精神科にソーシャルワーカーの実習に行って、アルコール依存症の治療や思春期外来に関わったことで、相談援助職の面白さにはまりました。それを契機に、医療ソーシャルワーカー(MSW)になりたいと強く思い、人が変わったように勉強し始めました。

でも、当時はソーシャルワーカーの採用は余りなく、どこにも就職できませんでした。そもそも採用があったとしても、男子だけが採用される時代でした。そこで、民間企業の試験も受けておこうと思い、新聞社と出版社を受けました。昔から文章を書くのは大好きだったし、大学の講義で社会問題にはふれてきましたから。

当時、新聞記者は高根の花だったのですが、まさかの合格。それが思わぬ人生の始まりでした。

1986年 同志社大学卒業後、産経新聞大阪本社社会部記者として就職

男女雇用機会均等法施行元年の採用であったため、社会部に女性記者は私ひとりきりで、ひどい女性差別に遭い、そのことがジェンダーの研究をするきっかけになりました。

1987年 大阪地方裁判所司法記者クラブ配属

おそらく、日本初の司法記者クラブ詰め女性新聞記者だったのではないかと思います。ここでも女性はひとりきりで苦労しました。

退職後、松江にUターンし、結婚。2人の男児を出産し子育てした当時

その頃は、は山陰中央新報のライターを細々としていましたが、ほとんど専業主婦状態。家事育児の大変さを知りました。

2003年3月 社会福祉学修士取得

長男が小5次男が小2の時から修士課程に通い始めました。研究テーマは「介護予防」でした。以来、ずっと「介護予防」の研究をしています。まだ「介護予防」という言葉があまり知られていなかったことのことでした。

2003年4月 同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻博士後期課程入学

そのまま博士後期課程に入学しました。子育てしながら通算6年、松江から京都まで通ったことになります。

博士後期課程在学中、研究をしつつ、14歳~21歳までに書いた詩を収めた『14歳の詩集』の出版もしました。

今年の11月に、その詩に「14歳の旅立ち」というタイトルで合唱曲の作曲家として著名な新実徳英先生が合唱曲をつけて下さいます(渋谷さくらホールにて初演)。

2007年同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻博士後期課程単位取得満期退学

2007年より福岡の女子大を皮切りに大学講師になり、研究者人生が始まりました。

2010年頃よりソーシャル・キャピタル(地域のつながり)と介護予防の研究を始める

ソーシャル・キャピタルが豊かな地域は、住民の健康度が高いことを社会疫学(医学)の先行研究から知ったため、ソーシャル・キャピタルと介護予防の研究を開始しました。

2011年 ソーシャル・キャピタルを国策に取り入れていたフィンランドへ

フィンランドには介護予防の研究のために行ったのですが、面白かったのは子育て支援。以後、子育て支援の研究も行っています。

2012年 初編著『アジアのなかのジェンダー』をミネルヴァ書房から出版

第2章「社会保障におけるジェンダー」や、コラムを執筆しました。フィンランドとノルウェーの子育て支援策、女性支援策についても書いています。2015年に第2版を出し、2020年にも重版しています。

2014年 松江の父が脳梗塞で倒れ遠距離介護、とうとう介護離職

2009年頃より福岡から松江まで週末通う遠距離介護をしていましたが、とうとう2014年に介護離職しました。翌2015年に父は昇天。介護離職は5年に及びました(内、2年は院生生活)。

介護離職中は、今秋からNHKの朝ドラでとりあげられる小泉八雲のひ孫さんや、高校の先輩で俳優の佐野史郎さんらと八雲が育った国アイルランドに行き、山陰中央新報に「アイルランド訪問記」を週1回計10回余り連載しています。

また、島根日日新聞に「ひそやかな恋―小説岩谷時子伝」を毎日ほぼ1年間連載しました(作詞家・岩谷時子さんの父親は島根県大田市出身)。産経新聞中四国版にも「神々の国に生まれて」というエッセイを連載したりもしています。

文筆活動を続けながら大学に復職しようとトライしましたが、50歳を超えてからの介護離職でしたから、全然、受からず。博士の学位がなかったことが原因であることが推察されました

そこで、2017年4月、博士の学位を取得するために、再度、同志社大学大学院総合政策科学研究科博士課程後期公共政策コースに入学し直しました。1年半で退学し、論文博士に切り替えて、2019年3月に無事に政策科学博士を取得しています。

2019年 新見公立大学健康科学部地域福祉学科准教授に着任

新見は岡山県と鳥取県の県境にある中山間地域。中山間地域は人口減少社会の縮図です。この年から中山間地域研究を始めました。

2020年4月 福知山公立大学地域経営学部医療福祉経営学科教授として着任

担当科目は、社会福祉論、社会保障論、地域福祉論、高齢者福祉論、ジェンダーとゼミなどです。

2020年9月 単著『ソーシャル・キャピタルに着目した包括的支援―結合型SCの「町内会自治会」と橋渡し型SCの「NPO」による介護予防と子育て支援-』を晃洋書房から出版

図書新聞、日本地域政策学会学会誌など多くの媒体に書評を掲載していただき、重版しました。

2022年 単編著『人口減少社会の地域経営政策』を晃洋書房から出版

日本経済新聞全国版の書評にとりあげて頂いたことで、3ケ月で重版しました。

2023年4月 国の学術振興会の科研費(B)の助成約1800万円が決定

現在は、「健康管理機能付き防災機能付き独居高齢者の見守りロボット」の開発に関する研究を行っています。

キャリアを作る中で意識していたことを教えてください

「人生は思うようにいかない。だから面白い!と考えています。人生のシーン、シーンでベストを尽くせば、きっといつかは努力が実る!!」をモットーとしています。

たとえ失敗したり逆境に置かれたり様々な不運に出会ったりしても、決して諦めず、くさらずに、不断の努力を重ねることが大事だと思います。

その努力はいつか実を結びます。しかし、私は若い頃は努力という言葉が一番嫌いで苦手な言葉でした。でも、今は努力は裏切らないと強く思います。

これからの展望を教えてください

現在行っている研究を遂行し終えたいです。定年後は、文筆業に専念したいとも思っています。

これからキャリアを作っていきたい方に向けて、簡単なアドバイスをください

私の父は、地方の大手自動車メーカーに勤務していました。母とは職場結婚しています。私の実家の食卓の会話は、ほぼほぼ会社の経営の話ばかりでした。

父は宮大工の子で何の縁故もありませんでしたが、42歳で役員になり、最後は専務取締役として関連会社の代表を務めました。

私の人生は、いつも父の男尊女卑的な考え方に阻まれており、父とは常に対立していましたが、父から学んだことが、ひとつあります。それは、いつも「なにくそ!」と思いながら生きれ、という教えです。

父は常に「人はハングリーでなければならない」とも言っていました。ハングリー精神がなければ、はいあがっていけないというのが、父の人生観でした。

父母は、幼少期に戦中戦後の貧困を経験し、母は7歳の時に戦争で父親を失い、父は14歳の時に病気で母親を失っています。貧乏のどん底からはいあがって家族を幸せにする!というハングリーさと、自分を支えてくれた母への愛が自分の会社人生を支えたと父は語っていました。

この「ハングリー」という言葉も、「なにくそ!」も、ある意味、今の若い人たちには、うっとうしい言葉に思えるかもしれません。

しかし、これらの言葉は、なんのコネクションもない状態でキャリアを積んでいく上で大切な言葉なのではないでしょうか。私自身の人生にあてはめてみてもこの2つの言葉はある意味、キーワードであったように思います。

私の人生は決して平坦ではなく、予想だにしない出来事の連続でした。数々の失敗や不運も経験しています。しかし、いつもその失敗を糧に生きてきました。失敗すれば誰しも落ち込みます。

でも、落ち込んだままでは負のスパイラルからは、はいあがれません。不運を嘆くより、笑ってかえして、失敗を糧にし、成功を手にした方が楽しくはないですか?

私が研究者を目指した理由は、研究によって社会をよりよくしたかったからです。文筆業を続けるのも同じ理由で、ペンの力によって人々を勇気づけたいから文章を書いています。その目標を達成するまでは、数々の失敗を乗り越えて前に進まなければと思い続けて生きてきました。家族の存在も大きな支えになったと思います。

どうか皆さんも目標を持ち、失敗してもめげずに、それを糧にして、家族を大切にしつつ、人生を楽しみながらキャリアを積んで下さい。失敗もいつか振り返れば楽しい思い出になるのではないでしょうか。

失敗から学ぶ人こそが人生を楽しめる人だと思います。むしろ、失敗のない人生を送っている人に、真実の経営の理念は生まれないと思うのです。

また、時代を読むことも人生を生き抜く上では大切ではないかと思います。経営を考える上でも、時代や顧客の求めるニーズにしたがって経営していかなければ営利は得られないでしょう。

私は39歳まで普通の社会人をしていて、新聞記者という時代を読まねばならない仕事をしていました。それが、今の仕事に非常に役立っています。

本を出す時にも、単に自分の研究を世に広めるだけでなく、出版社の営利も考えて、時代を読んだ本を出す努力をしています。結果、今まで出してきたほとんどの本が重版され、それがまた次の出版につながっています。

ソーシャルワーカーになりたかったのになれなくて、まさかの記者になり、その後、全く別世界の研究の世界に飛び込んだ私ですが、人生に無駄はひとつもなかったように思います。今は、こんなこと人生の無駄でしかないとしか思えない仕事も、ひとつひとつ確実にこなしていけば、きっといつかは咲く花の糧になる気がします。

PR等ございましたらお願いします

2025年9月に、晃洋書房から『人口減少社会のジェンダー政策』という単編著を出します。人口減少社会の課題を解決する処方箋の1つとしてお読み頂けば幸甚です。

メニューを閉じる